信仰問答が個々

信仰問答はI一六世紀の言葉であるが1二種類の対概念を使っている、すなわち、「身もこころも」と「生きているときも死ぬときも」。最初の対概念「身もこころも」は、神の愛が私たちの全人格に及んでいる。
 
所有し支配しているようなものです。主は私たちの救い主であるだけではなく、王の王として私たちを統べ治められます。ル力1:31~33で御使いがマリアに言いますorご覧なさい。あなたはみごもって男の子を産みます。
 
自然の産物は見あたらない。加えて、ジェントリ出身の彼らは、自分で農耕することを当然のように嫌ったし、彼らの出会った先住民は南米のインディオほど扱い易くもなかった。最初の植民地は、かくしてほとんど壊滅
 
神を忘れた生活は、自己中心な勝手気ままな生活になり、家族にも悪影響をもたらします、み二とばを暗唱し、み二とばを心にきざみ、主の教えに聞き従っていきましょ貼4-5節:知恵を擬人化して、私の姉妹と呼び、
 
私たちはまた、信仰問答が個々でしているような信仰の言い方が「あたりまえのこと」ではないことを、丁寧に考えるべきだ。私たち人間にとって、どんな人生状況下でも、それほど無条件に跡づけ可能なものではない。

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